朝起きられた時
朝になると預言者ムハンマドは次のようなお祈りをされた。「アッラーよ、私は次のことを証言しつつ朝を迎えました。最も高いところを支える存在、天使たちと全ての被創造物たちを私が次の言葉を言うことの証人といたします。あなたは、他に何者をも神とされないアッラーであられます。ムハンマドはあなたのしもべであり、使いであります」[1] つまり、これらを証人とし、かつそれらを語らせています。木の出す音、葉の出す音、水のぴちゃぴちゃという音、あるいはさあさあという音、これらも私の証言に加え、合奏曲のように高められていくこの音全てをあなたに差し出します。
預言者ムハンマドのこの伝え方は、その意識と考えの広さや深さ、真実への結びつきならではのものである。他人が同じことを言ったとしても、同等のあり方、同等の深さをもたせることは不可能である。
預言者ムハンマドは全ての存在、特にアッラーに近いところに存在する天使たち、存在を見守る天空の霊的存在たちを、御自身への証人とされた。アッラーに示されるべき感謝を、彼らと共に示されておられるのである。預言者ムハンマドがお祈りの中で天使たちを述べられることから、我々は次のことがわかるのだ。すなわち、偉大なお方の扉をたたこうとする時には、まずそのノッカーをたたくべき手が求められるのである。
マディーナで飢饉が起こった際、聖ウマルが聖アッバースの手をとってある丘に登り、その手を天に差し伸べ、お祈りをしたのもまさにそのためである。そのお祈りで彼はこのように乞い願った。「アッラーよ、あなたに差し伸べられたこの手は、あなたが愛されるお方の叔父のものです。この手にかけて、どうか雨を降らせてください」。そして、まだその手が下ろされもしないうちに、雨が降り始めたのであった。[2]
これは聖ウマルの理性の賜物であるが、そのことを、預言者ムハンマドのお祈りや願いに天使たちが加えられることから学んだのである。
大きな苦しみを受けた今世紀の偉大な人物(サイドヌルスィ)も次のようなお祈りをしている。「アッラーよ、罪が私の舌を捕らえました。罪の多さが私を恥じ入らせます。私はあなたの慈悲の扉を、教団長アブドゥルカディル師の声と息によってノックします」[3]
預言者ムハンマドが朝行われたお祈りにはこのようなものもあった。「天と地を創造され(ファートゥル)、幽玄界と目に見える世界をご存知であられ、偉大さと恵みの主であられるアッラーよ。この世界での人生で、あなたへの結びつきをあなたに宣言します。そしてあなたを証人といたします。あなたは証人として十分なお方であられます」[4]
このお祈りで性質に応じて創造されるお方「ファートゥル」という御名が使われていることは意味深い。なぜなら同じ様な意味を持つ似たような言葉他にもあるのである。ここで「ファートゥル」と言われていることには、次のような意味がある。「天と地を、それぞれにふさわしく創造され、それらを、その天性の法則に対して開かれた状態にされたのはあなたであられます。その天性の法則の中には、医学的、物理学的、宇宙物理学的かつ、天文学的それぞれの法則があり、朝になるとあたかもこれら全ての法則が更新され、存在に開かれた状態となるのです。これらに、この秩序と清らかな外見を与えておられるのはあなたであられます」
[1] Abu Dawud, Adab 101; Tirmidhi, Daawah 79
[2] Kanzu'l-Ummal 13/504
[3] Said Nursi, Hizbu Anvar'l-Hakaiki'n-Nuriyya p266
[4] Musnad, 1/412
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