「人は愛する者と共にいる」

「人は愛する者と共にいる」[1]

このハディースを詳しく解説しようとすれば少なくとも一冊の本ができてしまうであろう。道で迷ってしまった者、道案内について行けない者、望んでいるのにも関らず、するべきことをきちんとできない者、多くの傷ついた心に一杯の恵みの水を与えるこのハディースは、人間が肯定的・否定的両極面において愛する者と共にいるであろうことを示している。人は、この世においても、あの世においても、常に愛する者と共にいる。それで、預言者たちや誠意ある者たちや殉教者たちと共にありたいと願うのであればまず彼らを愛さなければならない。そうすればあの世で彼らと共にいられるであろう。別の言い方をすれば、あの世で預言者たちや誠意ある者たちや殉教者たちと共にいる者は、この世にいる時に彼らを愛し、彼らと共にいた者である。また悪事をなす人についても、このハディースの意味は通用する。

220 Bukhari, Adab 96; Muslim, Birr 165 (アブドゥッラー・ビン・アスウードから伝えられている)

この、たった一文からなるハディースは、このような何千もの意味を含み、凝縮された内容を持つものであり、このような言葉を語ることができるのはただ、神意や神の知恵を受け入れることのできる知性の賜物でしかあり得ないのである。

ムアイマンは時々酒を飲んでいた。預言者ムハンマドは彼に罰を与えられていた。彼がやっていたことは罪であった。それで、教友の一人が彼を責めると、預言者ムハンマドは眉をしかめられ、言われた。

「あなたの兄弟に対して、悪魔の手先となってはいけません。アッラーに誓って言いますが、彼はアッラーとその使徒を愛しています」[2]

アッラーとその使徒を愛することは、共にいるということをもたらすであろう事から、このような人がどれほど罪を犯したとしても、悪口を言われるべきではないのである。なぜなら彼はアッラーとその使徒を愛しているからである。この愛情は、義務を実行し、大きな罪を犯すことを避ける者にとっては、預言者ムハンマドと共にいるために十分である。なぜなら、人は愛する者と共にいるのだから...。

 


[1] Bukhari, Adab 96; Muslim, Birr 165 (アブドゥッラー・ビン・アスウードから伝えられている)
[2] Bukhari, Hudud 4,5
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