一般的なお祈りより
預言者の美しい言葉によるお祈りから、珠玉のものをもう少し紹介しよう。
- 「アッラーよ、私が知っている、あるいは知らない、これまで与えられた、あるいはこれから与えられる全ての善をあなたから求めます。私が知っている、あるいは知らない、これまでにやって来た、あるいはこれから訪れる全ての災いからあなたに庇護を求めます」[1]
- 「アッラーよ、あなたが恵まれたものに妨げとなるものはありません。あなたが妨げられたものを与えることのできるものもありません。財産の持ち主は誰も役には立たず、全ての富はあなたにあります」[2]
- 「アッラーよ、私が語ったこと、私が誓ったこと、私が行った行為は皆、あなたが以前に望まれたことです。あなたが望まれたことは何であれ実現し、あなたが望まれなかったことは何であれ実現しません。力はただあなたからもたらされるものです。疑いもなく、あなたの力は全てに十分であります。アッラーよ、私が行った全てのお祈りが、あなたが恵まれる全ての人の上に、私がかけた全ての呪いが、あなたが呪われた全ての人の上にありますように。あなたは現世と来世で私の親友であり、保護者でもあられます。私をムスリムとして死なせてください。誠実なしもべたちの中に加えてください」[3]
- 「アッラーよ、害を持つものや、道を迷わせるような反乱に遭うことなく、運命を受け入れ、死後の生の美しさを見る喜び、あなたのお目にかかる喜びを求めます。そして、人を苦しめること、人から苦しめられること、敵対すること、敵対行為にさらされること、過ちを犯すこと、許されることのない罪を犯すことから、あなたの庇護を求めます」[4]
- 「私を自己の欲望と差し向かいに残されたならば(その場合)、私を無力さ、罪、過ちへと押されたことになるのです。私はただあなたの慈愛深さを信用します。私の罪の全てをお許しください。なぜならあなただけが罪を許すことができるのです。私の懺悔を認めてください。なぜならあなたは懺悔を認められ、慈悲深いお方であるからです」[5]
- 「アッラーよ、あなたは名前が思い起こされるのにふさわしいお方であります。崇拝行為が行なわれるのにふさわしいのも、ただあなただけです。助けを求められる者を最も救われるのも、力と支配権の持ち主の中で最も情け深く、その扉で施しを求められる存在の中で最も気前よくあられ、与える存在の中で最も多く与えられるのも、あなたです。全てのものの持ち主、統治者はあなたです。あなたと共同に何かをするものはいません。あなたは類なく、似るものもない唯一の存在であられます。あなた以外の全ては死が義務づけられています。あなたに、ただあなたの許しによって服従され、またただあなたが知る範囲の中でのみ反乱が行なわれます。あなたに服従され、あなたはその報酬を与えられ、あなたに反乱が行なわれ、あなたは許されます。全てのものに対して最も近い証人はあなたであり、最も近い守護者もあなたです。欲望の(望むところの)前に立ちふさがり、首筋をつかまれます。(人々の)行いを記録され、寿命を定められました。彼らの心はあなたに流れ、隠し事はあなたのもとでは明らかとされます。ハラール(宗教上許されたもの)はあなたがハラールとされたものであり、ハラーム(宗教上禁じられているもの)はあなたがハラームとされたものであります。教えはあなたが定められたもの、命令はあなたが統治されるもの、創造物はあなたが創造されたもの、しもべはあなたのしもべであります。あなたは同情深く、慈悲深いアッラーであられます。天と地が輝くあなたの慈悲深さの手前、あなたから求めるしもべたちの手前、私を朝も夜も許してくださることを、あなたの力によって火から守られることを願います。輝かしい、尊敬すべき存在に、あなたの全ての権利への敬意と共に、あなたから求めるしもべたちの敬意と共に、あなたから、私を朝も夜も許されることを、あなたの力によって火から守られることを願います」[6]
- 「アッラーよ、あなたの使徒ムハンマドがあなたから望まれる全ての善をあなたから求め、またあなたの使徒ムハンマドがあなたから庇護を求める全てのことからあなたに庇護を求めます」[7]
- 「アッラーよ、役に立たない知識から、畏れおののくことのない心から、満たされることのない欲望から、認められないお祈りから、あなたに庇護を求めます」[8]
- 「アッラーよ、私の仕事に安定を、正しい道における決意を、あなたから求めます。あなたの恵みに感謝することを、あなたに崇拝行為を行なうことをあなたから求めます。正直な言葉と、健全な心を求めます。あなたがご存知である中から価値あるものを求め、あなたがご存知の中からあなたに許しを請います。疑いもなく、あなたは隠されたことを知るお方であられます」[9]
- 「アッラーよ、あなたから、価値ある事を行なうこと、悪い事を放棄すること、貧しい者を愛すること、私をお許しになること、私を憐れまれること、人々に反乱が命じられた時にはそれに加わる前に私に死をお与えくださることを望みます。あなたを愛すること、あなたが愛される者の愛やあなたの愛に私を近づけるような行動への愛情を望みます」[10]
- 「アッラーよ、あなたから善の始まりと終わりを、多岐にわたるものを、始まりと終わりを、明らかなものと秘められたものを、そして天国の最高の段階を求めています。アーミーン」[11]
- 「アッラーよ、あなたの名を繰り返し呼び、あなたに感謝し、よい形で崇拝行為ができるよう、我々をお助けください」[12]
- 「アッラーよ、あなたから庇護、罪からの救いを、純潔と(心の)豊かさを求めます」[13]
- 「アッラーよ、我々の仕事の最後を美しいものとしてください。この世で恥知らずのふざけた者にせず、あの世の罪から我々をお守りください」[14]
これらの表現から、一つの言葉でさえ取り除くことは不可能である。言葉の流れにおける調律はすばらしいのである。お祈りの奥深さを把握することは不可能である。預言者ムハンマドには、お祈りにおいてさえ比較の対象となるような者は存在しないのである。
預言者の家族からの伝承である故に、スンニー派の学者たちからはあまり参考にされていないが、偉人たちが皆繰り返し唱え、また彼ら自身も決して読むことを放棄しなかった「ジェブシェン」(預言者ムハンマドが神意によって授かったお祈り、よろい)というお祈り集がある。そう、それを見て人は預言者ムハンマドのお祈りの深さを改めて目の当たりにすることになるだろう。
全ての偉大な聖人たちは、預言者のお祈りから真似たり引用したりして彼らの祈りや願いに色彩や魂を加えようと努力してきた。そして、アッラーの扉を預言者ムハンマドのお祈りの手によってたたいてきたのである。預言者のお祈りにはその表現や手段、輝きがあり、他の者のものと混ざってもすぐに明らかとなり「これは預言者ムハンマドの言葉である」と言われるのである。
私自身、個人的に、ハサン・シャゼリーやアハマド・バダウィー、アハマド・ルファーイ、それにシャーフ・ゲイラーニのような方々の願いやお祈りを読むと感動に我を忘れるほどになる。時には耐え切れないほどのところもある。彼らのお祈りは素晴らしいものである。しかしそれらは皆、預言者ムハンマドのお祈りから引用したり、彼ら自身の表現に預言者のお祈りを加えたりして、その意味深さに到達したものである。我々も、このような偉大な人たちのお祈りを仲介者のようにし、慈悲の扉がこれらのお祈りへの承認によって開かれるという望みをもって、扉を叩いているのである。
アッラーの使徒の表現力は全て、彼の預言者としての知性の証拠である。いくつかのものは少ない言葉で多くの意味を示すということから特別な重要性を持つ。預言者のお祈りにおける表現と手段も、その中に含まれる。そのため、言葉も、お祈りも、このお方の預言者としての知性があの世に対するものであり、知識の源でもあることを示しているのである。このお方は他の何者でもなく、預言者であり、預言者たちの王なのである。
[1] Ibn Hanbal, Musnad 6/147
[2] Bukhari, Azan 155; Muslim, Salah 205; Abu Dawut, Salah 139
[3] Ibn Hanbal, Musnad 5/191
[4] Nasa'i, Sahw 62; Ibn Hanbal, Musnad 5/191
[5] Ibn Hanbal, Musnad 5/191
[6] Haithami, Majma' al-Zawa'id 10/117
[7] Tirmidhi, Daavat 89
[8] Muslim, Dhikr 73; Abu Dawud, Witr 32
[9] Tirmidhi, Daavat 23; Nesei, Sahw 61
[10] Tirmidhi, Tafsiru'l-Kur'an 39; Muwatta, Kur'an 40; Ibn Hanbal, Musnad 4/243
[11] Hakim, Mustadrak 1/520
[12] Hakim Mustadrak 1/499
[13] Ibn Maja, Dua 2; Muslim, Dhikr 72; Tirmidhi, Daavat 73; Ibn Hanbal, Musnad 1/416-434-437
[14] 4/181; Hakim Mustadrak 3/591
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