人は旅人である
「この世では、よそから来た者のように生きなさい。あるいは、旅人のようでありなさい。自分自身を(死ぬ前に)墓の住人だと見なしなさい」[1]
このように、三つの文から構成される言葉である。現世的なものを離れ、信仰行為を行なうこと、罪から身を守ること、現世と来世の均衡を保つこと、それらに関してこれ以上短く凝縮した表現は他にあり得ない。もしあるとすれば、それも預言者ムハンマドの言葉である。これは疑う余地もないことであろう。
人間は事実この世ではよそ者である。メブラーナの言葉で「人間は葦で作られた笛のようである」というものがある。本来のところから遠ざけられたために、常に泣いているのだ。その泣き声は生涯続く。
人は旅人である。魂の世界から始まって、母の胎内に、それからこの世界に、子供時代、若者時代、老年時代、そして墓場から天国もしくは地獄へと続く旅をするのである。しかし人は、このことをどの程度認識できているだろうか? もし、常に自分を旅人だと捕らえることができていたら、現世的な良さを持つものに引っかかってよろめいたりすることはなかっただろう。それらはただ歩くことの妨げになるだけで何の役にも立たないものである。
人は自分を墓場の住民だと認識しなければ、つまり「死ぬ前に死になさい[2]」という昔からの言葉で言われていることを行動や生き方に反映させない限り、悪魔の計略や陰謀から身を守りぬくことは不可能である。人間は欲望に虜になる面において、そして肉体的な面において死ぬべきであり、良心と魂が甦るべきである。全てを死体になってからにしておく者は、死体の下敷きとなって潰される者ではないだろうか?
[1] Tirmidhi, Zuhd 25 (イブン・ウマルから伝えられている)
[2] 参照:Ajluni, Kashf al-Khafa' 2/291
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