教育

「子供は尊いがその教育はなお尊い」という言葉があります。いかに正しく言い当てている言葉でしょう。

子供を育てることに関して父親や母親はダイエットもしくは断食を行っている人のようにより注意深くなければなりません。

ゼロ歳から5歳の間は潜在意識が最も活発に働いている時期であることを鑑みて、この時期に絶え間なく子供たちに良い例を示すことが価値あることだと言えます。

一個人の将来には子供時代や青年時代に受けた感動や影響が密に関わっています。子供や青年は興味や熱意が向上心を伴って刺激される環境で育てられれば、活発な頭脳を持ち、品行に優れ美徳を備えた人間になるでしょう。

私たちの人間性は感情の清らかさに直接比例します。悪感情が渦巻き、利己主義に支配された魂の持ち主は、外見上は人間でも真に人間といえるかは疑わしいものです。ほぼ誰もが身体を鍛えることはできても、己の精神と感情を訓練し育成することの出来る人はほとんどいません。前者のトレーニングは強靭な体を作り出します。一方後者は崇高な精神を持つ人間を形成します。

社会を発展させる唯一可能な方法は、若い世代を人間性溢れる存在に高めることであり、いわゆる不良を排除することではありません。信仰と伝統意識、歴史認識を備えた種が国中で発芽し成長しない限り、不良を撲滅してもその跡地に新たな害悪の要素が現れのさばるだけでしょう。

子供たちに本を読み聞かせることによって、それが散文であれ韻文であれ、精神には不屈さを、知性には健全さを、そして希望には力を授けることができるでしょう。そして私たちは強固な意志と堅実な考えを持つ世代を育て上げられるかもしれません。

女の子の場合、花のように繊細に、また穏やかで愛情豊かな子供の教育者となるべく育てられなければならないのが基本ですが、同時にゆるぎなく真理を守る人物となるよう十分な注意が払われなければなりません。そうでないと繊細さや優しさを培うためといって哀れで無力な存在にしてしまいかねないからです。雌ライオンであっても強さを誇るライオンであることに変わりはないことを忘れてはならないでしょう。

礼儀正しさはひとつの美徳であり、身についている人は誰でも高く評価されます。たとえ教育を受けていない人であっても礼儀をわきまえている人は好かれます。国民的な文化や教育を欠いた社会は無知なならず者のようなものでしょう。すなわち友情関係における誠実さもなければ敵対関係における一貫性もありません。このような人々を信用すると常に裏切られ、また頼りにしてもいつかは何の支援も得られないまま見捨てられるのです。

熟練した師の元で訓練を受けずきちんとした健全な教育を受けていない教育者たちは、ランプの灯りで他の人々の行く手を照らそうとしている盲目の人と同じようなものです。子供のいたずらや生意気さは育てられた環境が原因となって生じます。機能不全に陥った家庭生活は近年ますます子供の精神状態に反映され、さらには社会にも影響を及ぼすに至っています。

学校では行儀作法も普通の科目と同等に大切にされるべきです。そうでなければ子供たちはどのようにして健全な人格を身につけ成長していくことができるでしょうか。教育と授業を教えることは異なります。科目を教える教師になれる人は多くても「教育者」の数は極めて限られています。

教育において文化や価値観を教えることは不可欠であるにもかかわらず、ほとんど注意が払われておらず、重要視されていないといっても過言ではありません。私たちはこの二つにしかるべき重きを置くことによって重要な目的を達成することができるでしょう。

鏡のように光り輝き何事もカメラのごとく迅速に記録する魂を持つ子供たちにとって、一番最初の学校は家庭です。そして子供にとっての最初の教育者は自分の母親です。ゆえに一国の存在や安定のためには、子供にとっての優れた教育者となるような母親を育成し教育することが不可欠なのです。

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