「真のイスラームにおいて テロというものは存在しない」

「真のイスラームにおいて テロというものは存在しない」

今日[1]、多くの国々でイスラームの本質は誤解されています。ムスリム は表に出て叫ぶべきです。「真のイスラームにおいてテロというものは 存在しない」と。なぜならイスラームにおいては、正当な理由なく人を 殺める者は無神論者と同一視されるからです。基本的に人を殺すことは 許されていないのです。戦争状態にあるときでも、罪の無い人々に対し ては、軽く手を触れることすら許されていません。この点に関しては、 誰もイスラームに適っていると宣言すること(ファトワを出すこと)は できません。誰も自爆テロリストになることを許されていません。誰も 身体に爆弾を巻きつけ、無実の人々の中に飛び込むことを許されていま せん。その集団がどの宗派に属するものであったとしても、許されては ならないのです。戦争状態ではルールは破られがちですが、それでも非 戦闘員を殺すことは許されていないのです。預言者ムハンマドは、「子 供たちを傷つけるな、教会で祈りを捧げる者たちに触れるな」と仰いました。これはただ1度言われるだけではなく、歴史上何度も繰り返され ました。預言者ムハンマドによって語られたことは、アブー・バクル(第 一代カリフ)によっても語られ、アブー・バクルが語ったことは、ウマ ル(第二代カリフ)によっても語られ、ウマルが語ったことはその後の 時代においてサラーハッディーン・アイユーブ(アイユーブ朝の創始者) によっても語られました。それはアルプ・アルスラン(セルジューク朝 第二のスルタン)によって、そしてクルチュ・アルスランによって語ら れ、ファーティヒ(イスタンブールを征服したメフメット2 世)も同じ ことを語ったはずです。そうして語り継がれてきたのです。だからこそ、 秩序の無い混沌としたコンスタンチノープルはイスタンブールとなり得 たのです。つまり、ギリシャ人もアルメニア人もお互いに干渉すること はありませんでした。ムスリムも彼らに何ら危害を加えることはありま せんでした。イスタンブールが征服された後、ギリシャ聖堂にはファー ティヒの大きな肖像が作られました。当時はこういった雰囲気だったの です。ファーティヒはギリシャ聖堂の神父を呼び、聖堂の鍵を渡したそ うです。ギリシャ正教の信者たちは当時を懐かしんでいます。当時はあ らゆる思想が尊重されていました。しかしながら今日、イスラームの理 解においても欠陥があります。

大変残念なことですが、イスラーム世界にはごく一部の狂信的なイマ ーム(大小の共同体を指導する統率者)たちや、粗野なムスリムたちが 利用できる他の手段がありません。イスラームは真実の宗教であり、ム スリムは正しく生きる必要があります。その道程にあって、狂信的な手 段をとることは決して正しくありません。目的が正しければ、その目的 に到達するための手段も正しくなければなりません。こうした観点から、 イスラームでは殺人を犯して天国に行くといったことはありえないので す。 ムスリムが、「さあ、これから自分は人を殺して天国に行こう」と いうことは明らかに間違っています。人の命を奪うことによってアッラーの承認を得ることはできないからです。一人のムスリムにとって最も 重要なことはアッラーの承認を得ることです。アッラーの偉大なる御名 を世界へ轟かせることなのです。

イスラーム法は明解です。戦争は個人が宣言できるものではありませ ん。また、開戦を一派閥や組織が宣言することはできません。戦争とは 政府が宣言するものです。首相が、あるいは一軍隊が開戦を宣言してい ないのに戦争へと突入できないのです。そうでなければ、めいめいがそ れぞれの理由で戦争を始めてしまいます。ある者が数人の略奪者を集め て、戦争を起こし出してしまう。すると他の誰かも、また別の略奪者た ちを集める。そうして勝手に、自分はこれこれこういった人に対して宣 戦布告をする、と主張して戦争を始めてしまったらどうなるでしょう。 また、キリスト教に対して寛容な人に、「奴はキリスト教に協力してい る。イスラームを軽視している。奴は殺してしまわなければならない。 戦争だ」と個人的な感情から戦争を始めては、人の数だけ戦争が起きて しまいます。このように、政府が宣戦布告しない限り、戦争は始めるべ きではないのです。戦争というものはそれほど簡単なものではありませ ん。もし誰か、そう、私が最も敬愛する学者が言ったとしても、それは 正しくはありません。なぜならそれは、イスラームの理念に反するもの だからです。イスラームでは平和と戦争に関する法が明確に示されてい るからです。

「イスラーム世界」は実際に存在しない

私から見れば「イスラーム世界」という世界は存在していません。た だ、ムスリムたちが生活する場があり、その中にはムスリムが多数を占 めている場もあれば少数の場もあります。そこにあるのは習慣としての イスラーム文化です。イスラームを自身の思想によって新しく構築し直しているムスリムもいます。こう言ったからといって、過激派や超強硬 派のムスリムたちを指して言っているのではありません。人間は信じて いるものがあれば、それを正しい形で信じること、そして正しい形で信 じているものは正しく適用されなければなりません。地理的分布におい て一般にイスラーム世界と言われている地域に、理解や哲学を持った社 会があると言うことはできません。もしそうした社会が存在すると言う のであるならば、それはイスラームに対する誹謗中傷となります。どこ にもイスラームと呼ぶにふさわしいものが無いと言えば、それは人間に 対する誹謗中傷になります。

現在のところ私は、世界が均衡を保つために、ムスリムたちが貢献で きるとは考えておりません。というのも行政統治者たちの中に、イスラ ーム的な考え方を見出すことができないからです。最近一般に、イスラ ーム世界と言われている国々において多少の進歩がみられますが、それ でもなお、イスラームについてとても無知です。この事実はマッカへ巡 礼中の信者たちにも見られ、また会議や発表会などといったあらゆる場 面で見られます。テレビを観ていると、国会のような厳粛な場所におい ても見ることができます。本当にその浅はかさは、目に余るものがあり ます。将来的に可能性が無いとは言いませんが、今のままでは世界の諸 問題を解決することはできないでしょう。

もともと「イスラーム世界」という世界は存在しません。個々のムス リムとしての生活があるだけです。ムスリムたちはばらばらにお互いの 結びつき無く世界中の様々な場所に存在しています。完璧なムスリムの 存在というものを私個人は見出すことはできません。完璧なムスリムと は他者と関係を保つと同時に個を形成し、共通の問題を解決し、宇宙万 物を解釈し、クルアーンをもって宇宙万物を理解することができ、将来 を上手く見通すことができ、そして将来に向けた様々なプロジェクトを立案でき、未来像を明確に表現できるようなムスリムです。しかしその ようなムスリムが存在しないこの世界において、私はイスラーム世界が 存在するとは言い得ません。イスラーム世界という世界が存在しないの ですから、誰もが、それぞれ個々のレベルに応じて何かを行う。あるい はイスラームの名の下で自身の正当性を主張するムスリムたちもいるで しょうが、彼らは自分たちの仲間内だけで認め合っているにすぎません。 偉大な法学者たちによって経験から導き出され、そして正しいクルアー ンの理念に基づいた、確固たるイスラーム理解というものが存在してい るとは言えないのです。一つの文化としてあるいはムスリムとしての生 活が大多数を占めているだけなのす。

ヒジュラ暦5 世紀[2]以降こうした状態が続いています。アッバース朝 の時代から、あるいはセルジューク朝が始まる頃からです。しかしイス タンブールが征服された後、その傾向は一時弱まりました。イスラーム にとって誰もが認める良い時代です。それに続く時代では、新しい解釈 をするための扉は閉ざされ、思考領域は狭められて、イスラームの理念 の広範さは狭められました。イスラーム世界においてさらに良心の無い 人々が見受けられるようになりました。他者を認めることができない 人々、誰にも心を開くことのできない人々のことです。彼らは個々の集 団に分かれ、それぞれの信条や民族性などを主張し、それらを本来のイ スラームの理念に優先させるような人々でした。修行僧らの宿坊でもこ うした了見の狭さは存在しました。非常に残念なことですが、イスラー ム学院でも同じでした。そして当然のこととして、こうしたすべてのこ とが、それぞれの分野での権力者によって新しく変えられる必要がある のです。

アルカーイダ ネットワーク

私が世界中で最も嫌悪する人物の一人がオサーマ・ビン・ラーデンで す。なぜなら彼は、イスラームの輝かしい顔に泥を塗ったからです。そ して彼はイスラームを汚すようなイメージをつくり上げたのです。この つくられた非常に悪いイスラームのイメージを私達が正そうと試みたと しても、それは何年もかかることでしょう。

私達は様々な機会にこのイスラームの曲解について話をしています。 そして、それに関する本も執筆する予定です。そこで私達は「これはイ スラームではない」と主張しています。オサーマ・ビン・ラーデンは、 イスラームの論理を彼自身の感情や欲望に置き換えたのです。彼や彼の 周囲にいる者はまるで怪物のようです。そして彼らのような人々が他に いれば、彼らもまた怪物に他なりません。

私達はオサーマ・ビン・ラーデンのこのような態度を非難します。こ のような行動を防ぐための唯一の方法は、イスラーム世界とみえる国々 に住むムスリムは、彼ら自身の問題を彼ら自身で解決しなければならな いということです。前述したようにイスラーム世界という表現を私は認 めていません。そこにはただムスリムの住む国があるだけなのです。

ムスリムは自分たちの指導者を選ぶ際に、現在あるような方法とは異 なる方法をとるべきなのでしょうか? あるいは抜本的な改善を行うべ きなのでしょうか? 後に続く若い世代の成長のためにムスリムは自分 たちの問題を解決すべきです。テロに関する問題に限らず、神により承 認されていないタバコやドラッグの使用の問題についても同様です。紛 争や市民による騒動、なくならない貧困、他者に支配されるという不名 誉、他国の力によってつくられた政治システムに支配されるという侮辱、 これらはすべて問題です。

悪習慣のとりこになることや何かにふけることや人をあざけることは すべて愚かなことですが、このようなことはすべて神の嫌忌のするとこ ろです。残念ながらこれらの問題は我が国を始め他のムスリムの国々に も見られます。私は、これらを克服するためには、正直な人間にならな ければならないと思います。そして正直な人間になるためには、神に一 身をささげなければならないと思います。

人がテロを行うのは私達の責任

人がテロを行うのは私達の誤りであり、国の誤りであり、そして教育 の誤りによるものです。イスラームの様々な面を理解した真のムスリム はテロリストになるはずがなく、テロに加担する人がムスリムのままで いるというのは難しいことです。宗教が何らかの目的を達成するためだ からといって、殺人を承認することはありません。

しかし、これらの人々を完璧な人間として教育するために、私達はど のような努力を払ったのでしょうか? どのような要素が彼らを結束さ せることになったのでしょうか? 彼らがテロに加担しないために、彼 らの育成上、私達はどのような責任を果たしたのでしょうか?

人々はイスラームの信仰の源にある美徳により、テロへの加担から逃 れることができます。例えば、それらは神や審判の日に対する畏れ、そ して信仰の信念に反することに対する畏れです。しかし我々はこれらに 関して、必要とされるきめ細かい施策を講じてはいません。これまでに、 この無視されていた問題に対処するために、様々な小さな試みがありま した。しかし、あいにくこの問題に対処する途上で、一部の人々による 妨害がありました。彼らは、教育機関が文化や道徳について教えること は、完全に禁止すべきだと主張しています。

しかし私は、人生に必要なことは、すべて学校で触れるべきであると 主張します。健康に関する教育は医者によって教えられるべきです。ま た一般的な生活や家庭での生活に関することも学校で教えられるべきで す。そして人々は、将来の配偶者とどのように暮らしたらよいのか、ど のように子供を育てればいいのかも学校で教えられるべきです。

しかし問題はそれだけにとどまりません。多くのムスリムを抱える国 ではドラッグ、虐待、ギャンブル、横領などの問題に直面しています。 トルコではおそらくほんの数人を除いて、全ての人々が何らかのスキャ ンダルに巻き込まれています。私達はいくつかの果たすべき目標に到達 していますが、まだ多くの目標が到達されずに残っています。しかし、 このような人々を呼び出して責任を追及するということはできません。 なぜならば彼らの立場は守られ、隠されているからです。

これらの人々は私達の間で育った人たちです。彼らはすべて私達の子 供です。なぜ何人かの人たちは悪人になってしまうのでしょうか? な ぜ何人かの人たちは弱い者をいじめるような人に育つのでしょうか? なぜ何人かの人たちは人間の価値に背くのでしょうか? なぜ彼らは自 分自身の国で自爆テロを引き起こすのでしょうか?

これらすべての人々は私達の間で育った人たちなのです。つまり彼ら の教育に何らかの問題があったはずです。教育制度に欠陥があれば、そ の弱点が調査される必要があります。そしてこれらの弱点は取り除かれ るべきです。要するに人間を育てることは優先的に取り扱われなかった のです。その結果、いくつかの世代は失われました。

不満を持つ若者は精神力を失いました。一部の人たちは彼らに数ドル を与え、彼らをロボットのように利用します。彼らは若者を麻痺させた のです。近年このような問題が議論されており雑誌にも取り上げられています。そのような若者は巧みに操作されることがあります。彼らは愚 かな目的のために殺人者として仕立て上げられ殺人を犯すこともありま す。悪魔のような心の持ち主がいて、若者を利用することにより、ある 目的を達成しようとしているのです。

ロボットのようになった人々

かつて、多くの人々がトルコで殺されました。あるグループはある人 を殺し、他のグループは別の人を殺しました。全ての人が血みどろの争 いに巻き込まれ、その争いは軍隊が1971 年3 月12 日、そして1980 年 9 月12 日に出動し仲裁するまで続きました。人々はほとんどの場合、他 人の血を流すために行動を起しました。つまり、全ての人は他の人を殺 していたのです。

何人かは、ある目的に達成するために殺人を犯しました。その人はテ ロリストだったのです。そして、こちら側の人もまたテロリストでした。 しかし、全ての人は同じ殺人という行為を異なった言い方で説明してい たのです。ある人はこう言うでしょう。「私はイスラームの名のもとに 行っているのである」。ある人はこう言うでしょう。「私は人々や我が 国のために行っているのである」。そしてまたある人はこう言うでしょ う。「私は搾取と資本主義に反対するために行っているのである」。こ れらすべてはただの言葉でしかありません。しかし人々はただ殺人を犯 し続けたのです。全ての人々は理想という名のもとに殺人を犯したので す。

血みどろの「理想」の名のもとに多くの人々は殺されました。これは テロ以外の何ものでもありませんでした。ムスリムだけに限らず全ての 人は同じような過ちを犯していました。全ての者が次々と殺人を犯し、 殺人は「実現可能な行為」となりました。殺人は習慣化してしまったのです。殺人はとても悪質な行為であるにもかかわらず全ての人は殺人に 慣れてしまったのです。しかし、この状況は教育により防ぐことができ たでしょう。そして政府の法や規則はこの状況から人々を守ることがで きたでしょう。

かつて私の親しい友人が蛇を殺しました。彼は神学校を卒業し、伝道 者になっていました。彼のこの行動に対して私は彼と一ヶ月の間口をき きませんでした。そして私は彼にこう言いました。「その蛇は自然の中 で生きる権利があったのに、あなたはどのような権利があってその蛇を 殺したのだ?」

しかし今日このような状況では10 人から20 人の人が殺されると、あ るいは恐れていた人数よりも少ない時には私達はこう言います。「そん なに悪くはなかった、そんなにたくさんは死ななかった」。恐ろしいレ ベルにおいて人々は、このような非常に暴力的なことをより受け入れる ようになりました。「20 人から30 人の死で済んでよかった」。私達は そう言います。つまり、社会全体がそれを私達の日常の一部として受け 入れるようになったのです。

テロはどうすれば無くなるのか

テロに関しての改善法は、直接真実を伝えることです。ムスリムはテ ロリストにはなれないということを明確に知らせるべきなのです。なぜ この事が明確にされるべきなのでしょうか? それは人が何か悪質なこ とをすれば、それがたとえ原子のような小さなことであったとしても、 この世でもあの世でも報いがある[3]ということを教えなければならない からです。

確かに殺人は非常に重大な罪です。クルアーンでは1 人の人を殺すこ とは、全人類を殺すことと同じであると教えています[4]。クルアーン解釈 者のイブン・アッバースは、殺人者は地獄に永遠にとどまることになる とも言っています。この罰は不信心者に対する罰と同じものです。つま りイスラームでは、審判の日に罰を受ける際、殺人者は神と預言者を拒 否した者(不信心者のこと)と同程度罪深く卑しいと考えられているの です。これが仮に宗教の基本的な原則であるならば、教育の場でも教え られるべきです。

[1] このテキストはM・F・ギュレン氏がN.アクマン氏にしたインタビューから抜粋された。イ ンタビューはトルコの「ザマン」紙に 2004 年3 月22 日から4 月1 日の間に掲載された。
[2] ヒジュラ暦は、預言者ムハンマドがマッカからマディーナへ移住した年(西暦622 年)の ムハッラム月1 日を元年とする純粋な太陰暦です。
[3] 「一微塵の重さでも、善を行った者はそれを見る。微塵の重さでも、悪を行った者はそれ を見る」(聖クルアーン、地震章99/7-8)
[4]「人を殺した者、地上で悪を働いたという理由もなく人を殺す者は、全人類を殺したのと 同じである。人の生命を救う者は、全人類の生命を救ったのと同じである」(食卓章5/32)